現実の世界で

子供の頃

私がまだ小学校に入る前の事(かなりな昔話💦

私の家があった某田舎の町に、
市民憩いの場として日曜日には多くの人で賑わう広場がありました。

そこは結構な山の中にある場所で、神社の入り口でもありました。
といっても神社自体はお山の上にあって、その広場からは何キロも先なのでまったく見ることはできません。

私の両親も幼い私を連れて毎週のようにその広場へおにぎり🍙や☺️サンドイッチ、ミカンなんかを持ってピクニックに行っていました。

広場には売店も出ている賑わいようです。

当然私もその広場で遊ぶのが大好きでした。

そして、いつもその広場で一緒に遊ぶ子がいたのです。

その子は男の子で、いつも白いシャツにサスペンダー付きの紺の半ズボンという格好でした。そしていつも私が遊んでいるところにすぐに来てくれるのでした。

私達はいつも真剣に遊んだものです。
木の根っこを伝っていく遊び、同じ種類の草だけを伝って歩く遊び、等々、、、
(昔の子供ってそういう遊びをしていたのです)
子供なので何でも遊びになりました。

けれどある日のこと、その子が言いました。

「もう、むぅちゃんには会えないの」

ちょっとソワソワした様子だったのを覚えています。

そう言われた後も何事もなく二人で遊んでいたのですが、土に絵を描いていた時に母親がもう帰るからと呼びに来たのでした。

私は、その子がもうこの広場には来ないのだと、さっきの話はそういう事なのだと思って母親に、「ねえお母さん、◯◯ちゃんはもうここには来ないんだって」
と言ったのです。

そうしたら母親は、、、

「え?誰それ、何言ってるの?」
と言ったのでした。

私はあれ?と思い
「◯◯ちゃんだよ」とその子を指しましたが、母親から帰って来た言葉は
「もういいから早く帰るよ」という言葉のみでした。

母の様子と言葉を不思議に思うよりも、一緒に私と母のやりとりを聞いているはずのその子がこちらを見ようとせずに、落ちていた小枝で絵を描き続けている姿のほうに何か不思議なものを感じて、

「これ以上、この話をしてはいけないんだ」と直感的に思って口をつぐんだのでした。

そのままその子と別れ、母と一緒に歩きながら、
そうか、あの子とはもう遊べないんだ、、、と寂しい気持ちになったのでした。

その後、なぜかわかりませんが両親はその広場に行かなくなりました。
つまり、広場に行かなくなったのは、私の方だったのです。

そのまま時が経ち、そんな事はすっかり忘れて中学生になったくらいの頃だったでしょうか、時代が変わってその広場には人も訪れなくなり、売店も閉店して、ついに閉苑することになったと、ある日の地元ニュースで小さく報じていました。

そのニュースを見た時に、あの子と遊んだ事を思い出したのです。

あの子はどんな存在だったの?
人間?精霊?それとも、、、?

いいえ、、、どんな存在でも構わないのです。
そして、恐れ(自分への防御)や不安(未来への心配)から、その存在をマイナスに観る必要もありません。

彼がどんな存在だったとしても、
彼の記憶は今でも楽しい記憶のまま、私の中に残っています。

今年、行ってみたら会えるでしょう。
きっと懐かしい空気となって迎えてくれる事と思います。

人はみんな、
それぞれの方法で人生の旅をしているのだと思います。

自分に合った方法は、自分自身が一番知っています。
誰かに合わせるのではなく、自分のやり方でこの生を旅して行きましょう。

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